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このギャラリーを開くに当たって思うこと

私の子供の頃グッピーブームというのがあって、猫も杓子も「利殖の対象」として血道を上げていた時期があった。

なんでもペア五万円(今なら50万)が毎月何十匹かの子供を産むから、その半分が成魚になったとして、半年後にはいくらいくらになる。

そんなうまい話があるはずもなく、アフリカマイマイや九竜虫はたまた現在の愛玩犬各種のようにたちまち供給過多となり、

ブームは過ぎ去っていった。いまでも時々見かける、牧野信司著カラーブックス「グッピーの世界」保育社、にそのころの一端をかいま見ることができる。

しかしなかにはラブホテルのオーナーになったという人がいるようだ。

そのころはまだ、飼育技術も繁殖理論も確立していなくて、フィッシュマガジンの座談会には名の聞こえた文化人が参加していたりもした。

他の犬猫同様、外国特にアメリカから個人輸入された品種が珍重され、それらは当然ペット業者に扱いきれるものではなく、一部のお金持ちサロン、戦前の貴族社会的雰囲気のなかでのみ泳いでいたような気がする。

そうこうするうちにこれは商売になると趣味と実益を兼ねた旦那衆が参加するようになり、それらのクズがペット業者の手に渡って大量繁殖され全国津々浦々まで広がっていったのである。

1970年大阪万博会場にて、インターナショナルグッピーコンテスト、が行われたのがピークでその後はあれほどたくさんあった熱帯魚店とともに潮が引くように消え去っていったのである。

石油ショックなどの影響で熱帯魚飼育そのものもどんどんと下火になっていき、いつとはなしに、デパートの屋上からも熱帯魚売場が消えていった。

80年代中頃に入り、バブルが始まると、トレンディドラマの中にもぼつぼつ水草水槽などが置かれているようになり、バブル真っ最中の87年ごろからは、あちこちでグッピーコンテストが再び開かれるようになってきた。

私も87年に引っ越したのを機会に、20年ぶりに熱帯魚飼育を再開した。最初は水草水槽を作っていたのだが、もともと繁殖が好きだったので
そのころブームになりかけていたコリドラスの各種や、卵生メダカをいろいろと繁殖させて楽しんでいた。

とある日、FM誌を読んでいると、「ステルフォイなるものができちゃった。」という記事が載っていた。なんでもアドルフォイとステルバイと一尾づつしか入れてない水草水槽のなかに、突然訳の分からないコリドラスの稚魚がわいてしまったと書かれていた。

同様の事が我が家の水槽でも何回も起きていたので、参考にしてほしいと、何枚かの写真を編集部まで送ってみた。

ある日突然編集部のT氏となのる編集者より電話があり、当時「コリドラス界の大魔王」と呼ばれていたG氏と共に訪問したいとのことで、
わが家のコリドラスたちが誌上で紹介されることとなった。

古いオリンパスで写真を撮っていたT氏がふとある水槽をのぞいて「うーむこりゃいい!」と言っていた。

そこには「掃除屋」としてグッピーが入れてあった。

豊橋市のA熱帯魚で所沢直系というふれこみの雄たちで、ほとんど紺無地にちかいタイプだつたが、旧ブームのころのモザイクを期待していた私にとっては、いまいちもの足らない魚たちであった。

このひとことがきっかけとなり、半年後からは西に東にコンテスト会場を渡り歩くようになり、ついにはNIFTYグッピークラブの会員番号No001
となって、生活のかなりの時間をグッピーに費やすようになってしまった。

このT氏とは現在「めだか館パート1」のオーナーとして、革新的な繁殖理論を次々に発表されている筒井良樹氏のことである。

このころはグッピー界も黎明期で、今となっては幻となってしまったいろいろなタイプが存在していた。

今となって見ることができないこれらの写真がなにかの役に立てばと思い紹介することにした。

そんなわけで写真は自由に使っていただいて結構です。但しNIFTYにUPしてあつた写真が、外国のグッピーサイトにまったく別の名前で自家繁殖したように載せていたのは、いただけませんので、よろしく。

ご意見があればどんどんメールしてください。


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